我が青春の「GS(グループサウンズ)」そのⅠ 1966年編

画像GSと書いてグループサウンズの事だと分かる人だけ読んでください。
そこの若い人、ガソリンスタンドではありませんよ(冷笑)。
和製英語もいいとこのGSですが、これに熱中した女の子と、この人気にあやかろうとギターを手にした若者たちの一人、Porchの若かりし頃の思い出話です。オジサンのあの頃は良かった話ですが、3回も続く予定ですので読みすぎにご注意ください。

小学校から中学生にかけて、青春というにはちょっと早い思春期のBGMとしていろんな場所でGSは流れていました。音楽を好きになったきっかけの一つですね。
今でもたまに無性に聞きたくなってMP3にしたGSを持ち歩いるているくらい。疲れたときとかの常備曲なんですよ。この頃の曲は覚えやすく、それでいて歌謡曲嫌いだった僕に鮮烈なインパクトを与えてくれました。

画像1960年代後半、大きく花開いたグループサウンズブーム。
それまでの歌謡曲や演歌とは違うポップなサウンドに乗せて、長髪の若者たち(スーツ姿の大人のグループもいました)がステージで歌い、飛び跳ねるグループサウンズ。熱狂して失神する女性フアンまで現れる社会現象となりました。
それまでのロカビリーなど、外国からの借り物の音楽(外国の曲に日本語の歌詞を無理やり載せたものが殆ど)として始まった日本のポップスが、プロではない作詞、作曲者によって和製ポップス、J-POPへと変わっていく過渡期に生まれたあだ花だったのかもしれません。でも僕を含め日本中の若者が熱中した新しい音楽だったんです。※それまでプロの作詞、作曲家はレコード会社の専属だったため、師弟制度が幅を利かせており、新しい作家は登場しにくかったようです。

画像実はグループサウンズブームは意外と短く、1966年から1968年くらいまでのわずか3年間にたくさんのグループがデビューしました。
ブームの終焉は早く、レコードセールスは急激に落ち、グループは次々に解散、ある者は歌謡曲、演歌を歌い、また役者へと転進した人も多くいました。
しかし、その短い間に堺正章、沢田研二、寺尾聡、萩原健一等のスターを輩出、故井上忠夫(井上大輔)、大野克夫、加瀬邦彦などの作曲家が生まれ、今も活躍するすぎやまこういち、筒美京平などの作曲家がヒット曲を連発、日本の音楽界の革命期だったと言えるでしょう。





■1966年 ブームの始まり
画像この年は、既にデビューしていたブルーコメッツ、スパイダースに初めてのヒットが出ます。
青い瞳(ブルー・コメッツ)」「夕陽が泣いている(スパイダース)」は、当時としては斬新なアレンジで、ビートルズかベンチャーズでしか聴いたことのないようなポップなメロディに分かりやすい日本語の歌詞だったためか、たちまちヒット曲となりました。
この年末には「想い出の渚」で、ワイルドワンズがデビューし大ヒットします。
※ブルーコメッツの「青い瞳」は、当初日本の曲としてではなく、英語の歌詞で外国曲扱いとしてリリース。後に日本語詩になりヒットします。
※専属ではない作曲家(井上忠夫)の曲だったため外国曲扱いのほうがリリースしやすかったらしいです。




< その時Pochiは? >
当時は小学6年生。音楽の成績はアヒル(5段階の2)、楽器も弾けず、レコードプレーヤーも家にはなく、音楽からは遠い生活だったように思います。5年生のとき父親に連れて行ってもらった怪獣映画と併映されていた「若大将シリーズ」にハマってましたね。
まだグループサウンズという呼び名もなく、ロカビリーの延長のように扱われていたGSより、人気絶頂の加山雄三に興味があった頃です。
エレキの若大将」で加山雄三への憧れはピークになり、部屋にポスターを貼り、崇拝(笑)していました。
音楽の成績が悪く音痴なくせに、作曲をして、それを歌うと心に決めましたが、特に何かをしたわけでもありません。というか、どうすれば良いかも分かりませんでした。
この頃、母が手芸の先生をしており帰宅が遅いため、定時で帰宅する父が作る料理がお袋?の味として残ってます。この頃、現在の味覚が形成されたんでしょうか、男の料理に魅力を感じ始めます。
自分では頭が良いと思っていた(「貴方はやれば出来るんだから」は今も座右の銘)小学校1年から、ずっと同クラスのk子ちゃんに、淡い恋心を抱くも成績、絵、更に音楽でも勝てない状況が6年目に突入した年。・・・確か体育も勝てなかったスーパー少女が初恋(片思い)の相手です。その頃から女性に頭が上がらない?


<1966年のデータ(Pochiの記憶に残ったもの)>
■1月「ウルトラQ」放送開始 →怖かったですね。
■1月 「ハワイアン・センター(現スパリゾート・ハワイアンズ)」が開業。フラダンスがブームに。→19歳のとき初めてバイト先の慰安旅行で連れて行ってもらい、感激しました。
■6月 ビートルズ来日 →まだ英語の歌に興味がわきませんでした。
■7月 「ウルトラマン」「マグマ大使」放送開始 →僕はマグマ大使派

加山雄三の人気がピークとなり、「夕陽は赤く」B面「蒼い星くず」、「お嫁においで」、「夜空を仰いで」B面「旅人よ」がヒット。B面の曲までもヒットしたのは日本のレコードでは初の出来事。→映画で観た若大将の茶碗の持ち方(人差し指と親指で輪を作り乗せる。他の指は使わない)を真似して怒られました。
■荒木一郎「空に星があるように」、森山良子「今日の日はさようなら」、プロードサイド・フォー「若者たち」がヒット。オリジナルのフォークソングがヒットし始めた年でもあります。→漠然とギター弾きたいと思ってましたが、どうすればよいか分からなかった。後に通信教育(ソノーシート付)でギターを覚えます。

流行語:「シュワッチ」「こまっちゃうな(by山本リンダ)」「びっくりしたなぁもう」


<1966年 GSデータ>
■ザ・スパイダース
画像堺正章(ヴォーカル) 井上順(ヴォーカル)
田邊昭知(リーダー、ドラムス タモリ、研ナオコが所属する田辺エージェンシーの代表。アイドルだった小林麻美の亭主。富山で彼女のプロモーションの前座をやったことがあります。綺麗でしたね)
かまやつひろし(サイドギター 元ロカビリー歌手、森山良子のいとこ)
大野克夫(オルガン 後に沢田研二の「勝手にしやがれ」「時の過ぎ行くままに」などを作曲)
井上孝之(リードギター 後に「太陽に吠えろ」のテーマを作曲) 加藤充(ベース)

ヒット曲:ノー・ノー・ボーイ」2月1日発売 「夕陽が泣いている」(島倉千代子の「人生いろいろ」や「バラが咲いた」の浜口庫之助の作曲)9月15日発売 「なんとなくなんとなく」12月25日発売


■ジャッキー吉川とブルーコメッツ(故:井上忠夫以外のメンバーで現在も活動中)
画像井上忠夫(フルート・サックス・ヴォーカル、後に井上大輔の名前で機動戦士ガンダムの主題歌「哀・戦士」「めぐりあい宇宙」などを歌う。また、葛城ユキ「ボヘミアン」郷ひろみ「2億4千万の瞳」フィンガー5「恋のダイヤル6700」「学園天国」などを作曲。2000年5月末、没)
ジャッキー吉川(リーダー、ドラムス) 高橋健二(ベース) 三原綱木(ギター・ヴォーカル 86年にフジテレビの「ものまね王座決定戦」などの演奏で有名なザ・ニューブリードのバンドマスターへ、現在はヒデとロザンナのロザンナとも活動中) 小田啓義 (オルガン・ピアノ)

・ヒット曲:青い瞳」7月10日発売 「青い渚」9月1日発売 「何処へ」(真理村ゆき子作詞・作曲。先生モノのテレビドラマ「何処へ」の主題歌) 12月5日発売 「何処へ」は加山雄三主演で映画化、映画の主題歌は加山雄三の「旅人よ」


■ザ・ワイルドワンズ(加山雄三が名付け親。現在もオリジナルメンバーで活動中)
画像加瀬邦彦(リーダー / リードギター 後に沢田研二「危険なふたり」「TOKIO(作詞はコピーライターの糸井重里)」アンルイス「女はそれを我慢できない」などを作曲)
鳥塚繁樹(サイドギター) 島英二(ベースギター)植田芳暁(ドラムス) 後に渡辺茂樹(キーボード / フルート)が一時的に加入。

・ヒット曲:想い出の渚」11月5日発売でデビュー








■ザ・サベージ
寺尾聡(ベース、ヴォーカル 名優、宇野重吉の長男。「ルビーの指環」がヒットしたのは1981年) 奥島吉雄(ギター、ボーカル)  渡辺純一(ドラム) 渡辺昌宏(ギター) 林廉吉(ギター)

・ヒット曲:いつまでもいつまでも」7月1日発売でデビュー 「この手のひらに愛を」10月15日発売
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「我が青春のGS そのⅡ 1967年編」へ つづく
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